プール学院と私
秦山 みつ先生
- 1958年4月~1993年3月 プール学院中学校高等学校 専任教諭(数学・化学)のちに教務部長・宗教部長・教頭を歴任後退職
- 1995年9月~2002年3月 校長
- 2003年8月~2011年5月 同窓会館 第2代館長
- 現在の近況を教えてください
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ケアハウス入居9年目、菰野(こもの)町(三重県)主催の女性コーラス部に入り、週1回2時間程の練習に参加しています。先日発表会があり、10曲を歌いましたが暗譜に苦労しました。パートはメゾソプラノで、音をとる為にキーボードを購入して練習しました。食事はほぼ3食ともケアハウスの食堂で戴いています。
- プール学院に務めることになったキッカケは?
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就職難の時代にもかかわらず旭化成株式会社に内定をもらっていたが、プール学院の教師にと誘いを受け、既に学院に勤務しておられた片山敬子先生に履歴書を渡して持っていって頂き、田中良一校長の面接を受けて、旭化成を断り教師になる決心をしました。
- プール学院での思い出をお聞かせください
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種々多様の事柄がありましたが、今思い返すととても楽しく、教師になって本当に良かった。 子供たち・生徒たちが可愛かった。 ある年の修学旅行で1日目に生徒が喀血し、病院に付き添った一件。その後生徒には何も異常はなく、心から 安堵した事を鮮明に覚えています。又、修学旅行で新幹線を利用するにあたり、当時の清心館の側面扉を使い、時間を計り、乗車の練習を繰り返し行った事もいい思い出。
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取材してみて
取材日:2016年12月13日
取材場所:プール学院 同窓会館
取材者:
理事長 鈴木 光子(高73回生 旧姓:小柴)
常任理事 古川 和子(高75回生 旧姓:妻鹿)
常任理事 大塚 陽子(高76回生 旧姓:今江)
今年2月に80歳を迎えられた秦山みつ先生と久々にお目にかかることができました。 先生はご病気をかかえておられますが、気持ちは常に前向きで人のお世話もなさっておられ、見習わなければ いけないことがたくさんありました。色々話が盛り上がり、予定の1時間を軽くオーバーしてしまいました。 恩師がお元気でいてくださることが何よりもうれしいことです。 (鈴木談)